起業に挫折して引きこもりでも、絶対に諦められない理由【破】
自分のやりたいことも決め、ビジネスにおいてゼロからイチを作り出すために必要なことはすべて先生から教えてもらったのに、成果を出せない私がどうなっていったのか・・・。
前半の話は、起業に挫折して引きこもりでも、絶対に諦められない理由【序】を参照ください。
間違った考え方により、自分で自分を苦しめて何も出来なくなった私
だんだん、それまで更新してきたブログや、SNSも、発行してきたメルマガも、次第に出すことが出来なくなっていきました。自分で決めたことも出来ない自分を責めるようになりました。
以前は出来ていたことさえも、出来なくなっている自分を感じました。
例えば、自分を責めても、何の意味もないし、決して良い結果にはならないと頭でわかっていいるのに、自分を責める。昔の自分の思考パターンに戻ったような感覚でした。
それと同時に、
「このままじゃ、現状は変わらない!とにかく動け、動け、動けよっ!!」
私が元々持ってる資質として、「人は行動してなんぼ」という思いがあるので、思うように行動できない自分が本当に嫌だった。
そして、そう思えば思うほど、ますます苦しくなっていきました。
その時の私は、行動しない原因は自分なんだと頭ではわかっているだけに、自分がとても情けなく感じていました。
また、これまでに教えをいただいた方々、支えて応援してくれた仲間たちに申し訳がなくて、自分への評価はどん底まで落ち込んでいったと思っています。
いくらでも先生に相談することが出来たのに、相談することさえおこがましいと思い込んでいました。
また、起業家仲間にさえ、彼らの活動を邪魔することになると思い、話すことさえ出来ませんでした。
この目の前の状況は、すべて自分が自分で招いた結果だったため、大変お世話になった先生のもとを去ることを決めました。
「先生の元で成果を上げることが出来ないなら、他で何やっても無理。」
と思っていた私は、先生の元を去ったことで、もう自分には無理なんだと諦める選択しか無いんだと思い込んでいました。
そのため、この先自分がどうやって生きていくのか、何を目指して生きていくのか、人生の目的や生きる意味を見失った状態になってしまいました。
こんなダメダメな状態の自分では誰にも顔向けが出来ないと、スマフォやSNSなど一切の連絡を絶ち、自分の問題なのだから自分で何とかしなければならないと思い、一人引きこもることにしました。
誰の役にも立たず、存在する意味さえ無いのではないかと思い、このまま死んでしまっても良いんではないかと思ったこともありました。
それでも、お腹は空くし、体は汚れていく。気づけば、自分が楽しいのか、悲しいのか、怒りたいのか、悔しいのか、自分で自分の感情が感じられない状態にまでなっていました。
連絡を絶った私を心配してくれた母親からは、「うつなんじゃないの?」と言われてしまう始末。
もし、あの時、病院に行ったのならば「うつ病」と診断されてもおかしくない状態だったかもしれませんが、今となっちゃー過ぎ去っちまった過去なので、わかりません。
ただ、病院では「うつ病」は治らんと信じているため、病院に行くことはありませんでした。
むしろ「うつ病」というよりは、「学習性無気力感」の方が当てはまっていたかもしれません。
そんな状態であっても、私が行動しなければ何も変わらないことを頭でわかっていました。
だから、誰に頼ることなく、自分で立ち上がることが必要なんだと。
もし、ここで誰かを頼ってしまったら、その人に依存するカタチになってしまうのではないか?
それじゃー、精神的な自立じゃーないわー!って思っていたから、まず自分でなんとかせねばと!!!
そのため、このままではダメだと思い、もう一度最初からやり直そうと考え、行動しはじめるけれど、思うように行動することが出来ず、またそこでダメな自分が嫌になり、体調を崩す。
こんな負のスパイラルを何度も繰り返しました。もう本当に精神的に苦しかった。
どんな苦しさかって言うと、やられたことはないんだけれど、真綿でジワジワと首を絞められているような感じ(笑
RPGで言うなれば、クリティカルヒットではないんだけど、毒でスリップダメージを食らっちゃってる感じ。
これまた経験したことは無いけれど、「どんなドSプレイなんだよっ!!」ってぐらい、じわじわジリジリ来る感じ。
ただ、こんなダメダメな状況を繰り返している時でさえも、
「気仙沼のために役に立つんだから、こんなことやってる場合じゃないぜ、お前!!」
「これまでの自分を支えてくれた人たちへの感謝を形に変えて他の人へ返すんだから、早よしっかりせい!!!」
という想いだけは、不思議と消えることはありませんでした。
だからこそ、これまで身につけたコーチングのスキルだとか、本棚に蓄積してあるたくさんの本だとか、思いついたものを自分に試してみました。
けれど、思ったような変化を得ることが出来なかったんですよ。
「なんじゃい!バカにつける薬はないってか・・・」と、思ったことも(笑
そんな時、アインシュタインのある言葉を思い出しました。
我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない。
アルベルト・アインシュタイン
この言葉を思い出した私は、このまま同じことを繰り返しても変わらないと考えました。
そして、いったん目の前のものすべてを手放すことにしました。
まず自分自身をフラットな状態に戻すのが良いんだなと、直感で決めました。
というのも、元々の私は、人から「感情が豊かだねぇ」と言われるように、自分の感情をよく感じられるタイプでした。
例えば、映画の予告だけで号泣しちゃったり、人のことなのに自分のことのように怒ったり、喜んだり。
女性がビジネスで失敗するパターンとして、感情によって行動してしまうというのがあったので、マイナスと思われる感情に蓋してきちゃってたんですよね。見ないようにしていたというか、気のせい気のせいみたいに(笑
感情に蓋せいなんて誰も言ってないのに、やることがイチイチ極端な私なんですよ、昔から。
ある意味、変なところが素直過ぎると言うか(汗)
素直であって欲しいところが、素直じゃなかったりっていうね。
小さい頃、母親から「めぐはへそ曲がりの天の邪鬼だね!」って言われた所以でもあるかもしれない。
感情に蓋してきたことが原因で、自分の感情が麻痺していたこともあり、ちゃんと喜べるのか、怒れるのか、泣けるのか、笑えるのか、確認することから始めてみました。
やってみたことは、感動出来そうな映画を見てみたり、笑えそうな漫画を読んでみたり、考えさせられるアニメを見てみたり・・・
はたまた、楽しめそうなゲームをやってみたり、ヨガで体を動かしてみたり・・・
あ、ここだけ見れば単なる引きこもりニートですね(汗)
そして、自分が今何を感じているのかが、わかる状態になってから、それまでとは違う視点で現状を変えていこうと考えました。
それまでの私は、目標達成までのプロセスをまず行動していかなければと考えていました。
成功=あり方×やり方
あり方とやり方の割合は、9:1で、あり方が大きく影響することから、土台となる自分自身をもう一度見直すことから始めたのです。
私がもう一度立ち上がるきっかけは、両親からの一番最初のギフト
そこでふと思い出したのが、ひすいこたろうさん・山下弘司さんの「人生が100倍楽しくなる名前セラピー」でした。
だいぶざっくり説明になりますが、人の名前にはその人の「使命」が隠されているという本です。この本によると、私の名前は以下のような意味を持っています。
め:価値を発揮させる。
ぐ:人の中にある宝物を見つける。過去のものの価値を見出す。
み:人を輝かせる。人を育てる。
名前の順番にも次のような意味があります。
1番目【花】:相手にもっとも影響を与える部分
2番目【土】:本人が幸せになるためのポイント
3番目【実】:社会や家系のためにできること
土台となる【土】が完成することにより、【花】が持つ効果を咲かせることができ、【土】と【花】が完成することによって、【実】の成果がもたらされるという意味があるそうです。
まずは土台を作ることからということで、私の名前の【土】である、「ぐ」に着目することにしました。「ぐ」は、より強い「く」の意味を持つそうです。
く(蔵)の意味の中に、
「自分の中(蔵)にある両親や先祖から受け継いだ自らの長所や恵み(宝物)を意識することでことだまが活性化する」とあったので、自分のルーツである気仙沼のことを思い浮かべました。
正直なところ、震災前までは気仙沼について特に意識することなく、
「会社での仕事が、巡り巡って間接的にでも何かしら貢献出来れば良いかなぁ」
ぐらいにしか考えていませんでした。
にも関わらず、なんで気仙沼にこだわる気持ちがあるのかをさらに掘り下げてみることにしました。
そこで手始めにやったのは、過去の気仙沼の歴史を知ることでした。私が知っている震災前の気仙沼は過去何度も大きな津波被害から昔の人たちが復興してきた後の町並み。
では、昔の人たちはどうやって町を復興させてきたんだろうと気になったんです。
図書館で司書さんにもお願いし、私が知りたい情報についての資料が無いかを聞きました。
しかし、過去の震災時の被害状況は残っていても、実際にどうやって復興してきたのかを詳しく知ることは出来ませんでした。
欲しかった情報を手に入れることは出来なかったけれど、私をもう一度立ち上がらせるには十分な情報は手に入れました。
被害規模は省略しますが、気仙沼は過去、何度も大きな津波被害を被っています。
1611年 慶長地震の津波
1677年 延宝房総沖地震の津波
1793年 寛政地震の津波
1853年 安政の大地震の津波
1896年 明治三陸地震の津波
1933年 昭和三陸地震の津波
1960年 チリ地震の津波
さらに、津波被害のみならず、1727年、1735年、1788年、1839年、1862年と、市街地が何度も大火にみまわれています。
東日本大震災の後でも、気仙沼を離れずに住み続けている人たちがいます。
この事実を改めて見直した時、私の中で大きな確信が生まれました。
何度も町を復興させてきた昔の人たち、そして、今現在進行形で町を復興させようとしている気仙沼の人たちの根っこには、「諦めない不屈の精神」があるのだということを。
そして、私にも同じように「諦めない不屈の精神」が自分の中にあると確信したのです。
自分の中の宝物に気づいた時、改めて私にこの名前を与えてくれた両親へ感謝の気持ちでいっぱいになったのと、気仙沼に生まれたことに改めて誇りを持つことが出来ました。
そして、私はもう一度一歩踏み出そうと決めたのです。
ここまでの経験からお伝えしたいこと
- やり方が正しくても、行動する本人の考え方が過っていると成果は得られないこと。
- どういう状況に置かれていても、自分を信じ抜くことが出来れば必ず乗り越えられること。
- どんな問題も必ず解決できる。根本の問題が何であるのかを把握することさえ出来れば。
動き出した私はもっともっと成長していきますし、ここまでやればオッケーというものはありません。
こんな経験をした私だからこそお届けできること、お役に立てること、今後目指していることは、起業に挫折して引きこもりでも、絶対に諦められない理由【Q】へ続きます。
私が持っている本とは違いますが、ひすいこたろうさんの名前セラピーの本はコチラ
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