30代最後の誕生日なのでふりかえってみた件
- 2017.03.14
- 起業するための思考への変換
- 思い込み, 思考パターン
こにちは!
マイベスト起業準備コンサルタントの
佐藤愛です。
私事ですが、
本日ホワイトデーの3月14日は
私の誕生日。
しかも、気づいたら
30代最後の誕生日ですよ(;・∀・)
ということで、
自分自身をふりかえってみました。
ただふりかえるのもなんなんで、
ヒーローズ・ジャーニーに
なぞらえてみました。
Contents
人生の流れを知れるヒーローズ・ジャーニーとは?
ヒーローズ・ジャーニーって知ってますか?
米国の神話学者である
ジョゼフ・キャンベル氏が
世界中の神話を研究していくと、
共通する一連の流れがあることを発見。
その一連の流れを
「ヒーローズ・ジャーニー」と
名付けたそうです。
そして、私たちの人生の流れも
この「ヒーローズ・ジャーニー」を
辿っていたりします。
そのため、ヒーローズ・ジャーニーを
元に現状を分析すると、
次のステージに行くために
何が必要なのかを知る手がかりにも
なります。
それに次に来るであろうものが
推察できるから、心の準備も
できますね(*^^*)
なわけで、
このヒーローズ・ジャーニーで
過去から今を分析です。
【平凡な日常】
システムエンジニア(SE)として、
会社と家の往復する毎日。
【冒険への誘い】
東日本大震災をきっかけに
SE以外のことで自分のやりたいことを
探し始めます。
コーチングに出会い、自分自身が
変わったことから、コーチングで
東北を元気にすることを思い立ちます。
【冒険への拒絶】
通っていたコーチング講座を
仙台で立ち上げることになります。
しかし、集客ができないために、
継続することを断念。
【メンターとの出会い】
どうすればと露頭に迷いかけた時、
ご縁からビジネスの塾に通い始めます。
【第一関門突破】
メンターからの教えを仙台でも
広めていこうと、自分のサービスを
決めて、メンターからもGoサインを
もらう。
【試練・仲間 敵との出会い】
毎日ブログを3記事更新し、
SNSでも情報発信をしていきます。
ですが、自分のフロントエンドの
セミナーをするも思うような結果に
繋げることができません。
一緒に頑張る仲間たちは、
どんどん成果をあげていきます。
【最も危険な場所への接近】
状況をみかねたメンターが
自分の元で活動することを
提案してくれます。
仙台を離れ東京で活動開始。
そして成果が出なければ、
塾を辞めることを決断。
【死と再生】
最終的には成果を出すことができず、
そんな自分を責めまくり、
自分に起業は無理と引きこもることに。
それでも起業を諦められない私は、
誰にも連絡を取らず、
復帰するために自分で試行錯誤。
なかなか復帰できない中、
そもそも何故起業することにしたのか、
掘り下げてみました。
地元気仙沼の歴史を知ったことで、
先人たちの「諦めない、不屈の精神」
を見出します。
そのことで、
気仙沼に生まれ育った私なら
「私にも諦めない不屈の精神がある」
と確信することに。
【報酬】
私の魂の声が私の自信の種に
気づかせてくれました。
【帰路】
なぜかわからないけれど、
まず3人に連絡しなきゃと、
3人の方に連絡します。
そして、自分を信じ徐々に活動を
再開していきます。
【復活】
一人離れていた間も、
私を信じて応援してくれていた友人。
その友人の協力により、
コンサルティング業を復活。
【宝を携えての帰還】
さらに友人からのご縁により、
養成塾をプロデュース&運営開始。
ここで得られたご縁が、
今でも続く大切な人達になっている。
そして、さらに新たな冒険へ。
【平凡な日常】
個人事業主として活動を続ける毎日。
【冒険への誘い】
教育を変えるというミッションに
興味を持ち、そのプロジェクトの
決起会へ参加。
【冒険への拒絶】
今の自分の事業を展開させつつ、
新たなチャレンジを進めるには、
まず今の事業を優先と、
チャレンジに踏み出せない。
不思議なことに、
このことが他の行動にも影響。
【メンターとの出会い】
プロジェクトの創始者と
直接話す機会を得て、
さらなる気付きと学びを得たことで、
次に進んでいくことに。
【第一関門突破】
まずは基本からということで、
基本に習い行動していくことで、
新たな仲間を増やすことに成功。
【試練・仲間 敵との出会い】
活動を進めていく中で出会う
人たちの協力を得つつ、
次のステージに向けて
邁進中(*´ェ`*)
次は最も危険な場所に、、、。
いや、すでに足を突っ込んでいる
感覚も無きにしもあらずなのです。
何故なら、自分自身と向き合うことが
めちゃくちゃ増えております。
次のステージとして、
最も危険な場所に、、、
ってなったらさ、
恐怖が出てくるわけですよ。
そんな恐怖が出てきたら、
どうすればいいのか?
自分が感じる恐怖の本当の正体を知る
そもそも、自分が本当は恐怖を
感じていたけど、
その恐怖を隠していたことって
あるかな?と。
これって自分で意識してみないと、
直面してるまさにその時
っていう以外は見過ごしちゃったりね。
なので、あるかな〜と探してみる。
で、まず思いついたのは、、、
先日、とあることに気づいたんですね。
私自身、自分の感覚では
相手には伝わらないと思ってたんです。
だから、論理的に伝えなきゃとか、
ライティングを学ばなきゃとか
やってきたわけなんですが。
実はそれは私自身の
「伝わらない」という意識を強化し、
ますます自分の行動を
制限してることに繋がっていると。
なもんで、
自分がこれまで正しいと思って
やってきたことを、
捨てなきゃいけない時に
恐怖を感じたんですよね。
そんなんやったら、
ますます伝わらなくなるんじゃとか。
余計にわかりにくくなるんじゃとか。
でも、恐怖の正体がわかっちゃえば、
乗り越えることへ一歩近づきます。
恐怖の本当の正体が何であるのか
わからないから、対処できない。
でも、恐怖の本当の正体がわかると
「どうすれば良いのか?」
という意識に変えていけます。
そして、つきつめていくと、
人にとっての一番の恐怖は、
「死ぬこと」
けど、普段生きていて、
「死」への恐怖って
あんまり実感することが
無いかもしれません。
だから、自分の感じる恐怖が
「死」への恐怖なのか?
って、実感はしにくかったり。
でも、カタチを変えていることが
あります。
人にとっての大きな恐怖の一つは
「愛されない」
という恐怖。
赤ちゃんや子供の頃って、
両親から愛されていなければ
生きていくことができません。
そのため、小さい頃に、
親から愛されるために
親の愛を得るために
作り上げた思考・行動があったり。
また、小さい頃に、
親から愛されていないと
感じてしまった傷が残ってて、
それが大人になっても影響してたり。
大人になっても両親から愛されない
ことへの恐怖があります。
そうは言っても、
これから前に進んでいくにあたり、
乗り越えたほうが良い恐怖が
何であるのか?
わからないこともありますよね。
そんな時は、、、
あなたが自分のことを愛せていますか?
次のように自問してみましょう。
「自分を愛せる人生を送っているのか」
「自分のことを愛せなくなっていないか」
「相手への愛情を失っていないか」
「恐怖があるのに無いものとして
考えているところはないか」
けど、いきなりこんなこと聞かれても、
「はてな?」ってなる場合も
あるかもしれません。
もし、私自身がこの質問に
最初に起業にチャレンジした時に
ちゃんと向き合えていたら、、、
もっと自分を信じることができたし、
もっと行動しやすい自分に
なってたのではないかなと感じます。
というわけで、私自身が
上記の質問で思い当たったのは、、、。
昔に比べたら、かなりいや大分
自分を愛する人生を送っているなと。
けど、以下のような時は
自分への愛を忘れているなと。
誰かをジャッジしたり、
相手からの反応をジャッジとして
捉えたりする時。
本当はもっと両親やお世話になった
祖母や叔父叔母と過ごす時間を
増やしたいと思っているのに
実際には何もやれていないと思う時に、
自分を責めている感じがある。
全方位で幸せを体感して良いのに、
恋愛は今は後だよねとか、
食事から健康になるのは後回し、
と言い訳してきたこと。
相手に認められたいと思って
動いている時。
普段は意識しないで行動してると
わからないものが、
掘り下げると気付けるんですよね。
あなた自身はどうでしょうか?
こうやって出てきた中から、
上記が原因となって、
人間関係が上手くいっていない
相手というのが必ずおります。
私は最近関わっている方々は
「みんないい人」
っていう設定なので、
すぐには思いつかなかったのですが、
探したら出てきました(;・∀・)
その相手に、実際に自分の気持ちを
伝えることで、ひとつの恐怖を
乗り越えちゃおうですよ。
相手に自分の本当の気持ちを伝える勇気
人間関係が良好でなかった人に
自分の本当の気持ちを伝える。
私自身、以前に比べたら、
本音で話すってことを
だいぶやれるようになってきました。
でも、これって、
かなり勇気のいることですよね?
伝えることでさらに悪化したりと
考えちゃったら怖いですもん。
でも、やってみるわけですよ。
だって、死ぬわけじゃないから。
なので、人間関係があまり
良好じゃない相手にあえて
次のような感じで、
伝えてみるのです(*^^*)
=================
これからも、あなたと良い関係を
築いていきたいので正直に話しますね。
私は◯◯なふりをしていましたが、
本当は××でした。
その代償として、
□□な状態になっていました。
でも本当は、私が△△だった
ということに気づきました。
なのでこれから私は、
▽▽な人間として
あなたに接していきます。
=================
これをやりましたよ。
今はお会いする機会が無い相手に、
Facebookでメッセージし、
電話しても良いですか〜と。
その方は私より年上の男性なのですが、
一時期その方のビジネスが
より良い方向へ進むようにと
アドバイスする場があったわけです。
最近はお会いすることも
無くなっていましたが、
気になってたことがあったんですよね。
それは私の話を
まったく聞き入れてもらえてないなと。
何か伝えても、
「うん、わかるわかる」
「そう、やってるんだけどね」
と返って来て、相手にアドバイスが
入ってる感覚が得られない。
これが何回か繰り返しちゃったら、
私自身の中で、
「この人は私のアドバイスは聞かない」
と決めつけちゃってたわけです。
実際には、違ったかもしれないのに。
例えば、私が相手が本当に必要とする
ところに対してアドバイスしてない。
伝わるような言葉を使ってない。
と、原因は相手ではなく、
自分自身にあるかもしれないのに。
だから今後はもっと相手を理解して、
その上でコミュニケーションすると。
上記のことについて、
お伝えしたところ、
ちゃんと受け取ってもらえました。
そして、当時ご自身が
どういう状態だったのかということを
お話いただき、至極納得しました。
私の中で、歳の離れた男性で
人の話を聞かないタイプの人に
苦手な意識が残っていました。
が、今回話をしたことで、
単純にコミュニケーションタイプの
違いや見ている視点が違うだけで、
話を聞かないわけじゃないってこと
が確認できました。
やはり私の単なる解釈だったなと。
実際にお話してみて、
最近はお会いすることもなかった中で、
朝からの電話に対応してもらえたて、
めちゃくちゃありがたかった!!!!
昔から思ったことは言っちゃう方
って思ってやってきたのですが、
去年からさらに本音で話すことが
できるようになってきました。
以前と違うのは、ただ思ったことを
言うというのではなく、
相手とコミュニケーションする際の
視点が変わってきてること。
常に相手の素晴らしい未来や、
相手との関係性の素晴らしい未来に
フォーカスしていると、
本音で話していても恐怖は感じない。
けれど、自分の恐怖が先に来て、
フォーカスがずれてしまい、
目の前のマヤカシに視点が移ると、
相手の言葉に必要以上に
反応しちゃうことも。
もちろん、逆もあります。
相手がこちらの言葉に反応することも。
でも、そのこと自体が悪いのでなく、
自分自身に気づきを与えてくれる
シグナルちゃんなんだなって思うと、
自分を変えるきっかけにもなります。
また、どんな相手であっても、
相手が存在してくれるからこその
気づきや学びが存在します。
なので、本当に今の自分があるのって、
これまで関わってきてくれた人たちの
おかげでもあるし、周りの人の
存在ってめちゃくちゃありがたいです。
と、私はたまたまご連絡した方が
受け取ってくれて、
当時の話もしてくれてと
とっても嬉しい感じで終わったんですが、、、。
やってみたけれど、
相手に受け取ってもらえなかったとか、
なんか変な感じで終わっちゃったとか、
むしろなんか関係が悪く、、、
って、状態になったら。。。
凹んじゃったり、
やっぱダメじゃん。
って、思って自分の恐怖を乗り越えて
自分がチャレンジしたいことへも
出鼻くじかれちゃう的なことに
なるかもわからんですよね。
でも、大丈夫!
そんな時にこそ、使いたいもの。
何度でもリトライできる自分だったら?
もし、今回うまくいかなかったことは、
失敗ではなく、
次のステージに進むための
単なる第一関門だったとしたら?
そして、何回でもリトライできる
自分だったとしたら、どうでしょう?
私だったら、、、
- なんでもできちゃう!
- 怖いものなしで進めちゃう!
- 成功以外あり得ない!
って、思えてきちゃいますね。
実はリトライできる
自分であるかどうかって、
自分自身で決めているんですね。
失敗したからここで終わりって
決めているのか、
次にまたチャレンジできるって
決めているのか、
自分で決めていることです。
私が一度起業で挫折をした時も、
「成果を出せなければ、
塾を辞める」
「ここで成果を出せなければ
自分は起業に向いていない」
って、自分で決めてただけなんです。
今は日本で生きていれば、
余程のことが無い限り
死ぬようなことなんて無いです。
だから、失敗することが死への
恐怖と直結するかっていうと、
そうじゃない。
失敗することへの恐怖は、
自分が作り出したマヤカシだなって。
これまで受けてきた学校教育で
培った価値観のひとつである
「失敗してはいけない」
ということに、捕らわれていたら
チャレンジすることへの恐怖は
大きくなるだけ。
失敗を重ねても、それでも
自分の実現することに向けて
前に進む人だけが、
成長し続けることができる。
そして、実現することができるから。
仮にもし、何かを失敗したことで
自分から離れていく人がいるならば、
役割を終えていった人たち。
私自身をふりかえると、
起業挫折前から知ってて、
今も関係性がある方っていうのは
とーっても大事な人たちばかり。
たとえ離れていても、
やっぱりその人たちの活動を
見ていると、私ももっと行こう!
って思えてくるし、
あの時会えて本当に良かったって。
挫折を経験したことで、
それを触らぬ神に祟りなし的なのとか
関わったらメンタルやばそうとか
そういう人たちは、
役割を終えた人たちなんだなと。
ただ、永遠にそうかっていうと、
ご縁があってまた関わることがあれば
大歓迎だし、拒絶する理由は
一つもないのだけれど。
そうやって離れた人がいたとしても、
新たに出会う人達が居てくれます。
実際、今付き合いのある9割以上の人は、
挫折から復活した後に出会った人たち。
素晴らしい人達に出会うたびに、
大きな喜びや感謝を感じるたびに、
本当にあの時諦めなくて良かった〜!
だから私は、この先も諦めないのです。
ひとり悩んで閉じこもってた時は、
「あ〜あかん、本当ダメだ」
って思ってました。
けど、あの時の経験は、
次のステージに向けて
ジャンプするために
踏み込んでいただけ。
思うようにいかなかったのなら、
やり方を変えてチャレンジすればいい。
失敗しないで、
物事をやり遂げるは存在しないし、
実は失敗なんてありえない。
すべては成長への経験値を得るもの。
テレレレッテレ〜って、
どんどんレベルアップしてくための
途中の状態だから、
どんどんレベルアップなんですよね。
あとからやってきた何かへの対処
そうやって、自分自身に向き合って、
いろんなもの解放!
「うぇ〜い」って
うきうき楽しくやってたら、、、。
予想外のところで、
自分の感情を揺さぶることが。
そりゃね、気づいてすぐに
何でもかんでもへいへーいって
できればいいですが、
そうじゃないことのが多い。
私が個人的に応援している活動を、
他の人も共感して応援してくれたら
とーっても嬉しいなって思って、
お声がけしてみたのですわ。
そしたらさ、恐らく相手の方の
私への信頼の無さもしくは
相手の恐怖の部分に触れちまったのか
予想外の反応が来ちゃったんですね。
私自身はその人のことを信頼してた、、
つもりだったので、
「ぎょえー」っていう怒りから
悲しみに転換(^_^;)
私からするとそんなちっちゃなことを
気にするのか〜い!
ってジャッジしてしまったのと、
これまで信頼関係培ってきた
気になってたのは、
私だけだったんか、、、と。
もうね、自分の中から
「こうあるべき」という正義の部分や
「こうだったんか」という解釈が
あぶり出てきて、、、。
せっかくいろんなこと気づいて
手放してきたはずだったのに、
ぎょえーってなりました(笑)
冷静になってみれば、
私の問いかけに対して、
ちゃんと反応してくれたってことで、
むしろありがたいわけで。
過去の嫌な経験から生まれた恐怖から
出てきた言葉なのに、
そこに私との信頼関係が無いと
判断するのは勝手な解釈だなって。
けど、自分がやりたいと思って
やっていることなんだから、
相手の反応なんてスルーしちゃえば
良かったんですよね。
だから、やっぱりどこかで見返りを
期待していたし、
自分がやりたくてやってることに
何か怪しいものが混ざってるかもって
見直すきっかけをいただけました。
基本的に今は周りの人たちとは
良好な人間関係って思ってました。
けどそれって単純に、
自分の価値観と似ている人もしくは
受け入れてくれている人と
一緒にいるだけかもなと。
なので、「ぎょえー」って思えた
経験も、気づきと学びを与えてくれる
結果になって、
やっぱりめでたしめでたしなんですね。
それもこれも、ここで人間関係が
終わりじゃないって思ってるから。
もっと良い関係構築のために、
どんな風に付き合っていこうかなって
自分自身を捉えなおして、
接していこうってできるからです。
なので、リトライしまくれるっていう
設定は使えるですよ(*´ェ`*)
けど、そうやってリトライ続けるのも
自分が何かを実現すると思えるものが
あってこそですよね。
あなたが思っているものが、
あなたの本心から出ているものでしょうか?
実は、いつか誰かに刷り込まれた
本当は欲しいと思っていない何か
だったりしたら、、、
ホンモノとニセモノを見分ける
自分で思ってることなんだから、
ホンモノもニセモノも無いやん。
って、思われるかもしれませんが、
これ実際はあるですよ。
一時期友人からめっちゃ言われました。
「めぐちゃんの言ってることと
実際が違う」って。
彼女は私自身の感情とか
エネルギーの部分を見るので、
私が言葉で言ってることと、
感情やエネルギーとが
不一致の状態だと
めちゃくちゃ違和感感じるわけです。
だからこの時は本当に苦しかった。
自分自身では思っていることを
伝えているだけなのに、
「違う」って言われる(笑)
もうどうすりゃいいんじゃー!
って、悩ましい日々でしたね。
やっぱりそこには、
自分のホンモノの想いと言葉と
自分のニセモノの想いと言葉が
入り混じっていたからだなって。
ホンモノ:
自分の心からの想い
ニセモノ:
何かしらのフィルタを通して
出てきた想い
じゃー、今すべてがホンモノかってと、
そこは常にやりながら見直しながら
です。
やり方とかではなく、
あり方の部分って、
どこまでやればオッケーって無いから
常に磨き成長し続けるところ。
って、思っています。
なので、私自身、ニセモノの部分って
あるかなーって掘りました。
で、まず思い浮かんだのが、、、。
自分の古巣であるIT業界に、
何かしら恩返ししなきゃって思って
行動するわけです。
でも、相手に受け入れられなかったり、
認めてもらえなかったりすると、
凹んだり、自分の正義がむくむくと
出てきたりします。
だから、本当はやりたいんじゃなく、
お世話になったんだから
恩返ししなければならないという
ルールに縛られているだけかもと。
また、自分がやりたいと思って
やっていることであっても、
人に認めてもらいたいって部分が
出てきたりすると、
やっぱりちょっと違うなって
感じます。
人に認めてもらうためにやるんでなく、
自分がなりたい自分になるために
やっていることだから、
本当は人って関係ないなって。
自分の特性として、大学院時代の
研究経験や前職であるSE時代の経験で
身につけた特性部分でできることって
結構たくさんあります。
けど、やること自体は苦なくできるが
楽しいかっていうとそうでもない。
そんな時って、やっぱり
自分が見てる部分がニセモノを
見ているなって感じますね。
ホンモノとニセモノの違いは、
見返りを期待してるかどうかでも
気づけたりします。
見返りを求めちゃうところって、
自分自身の何かを外部から
もらうことで満たしていこうと
しているし。
その見返りがないことで、
自分の感情が反応したりしますしね。
◯◯したのに、××ない。
すごーく昔のことで思いつくのは、
私が料理苦手なのにも関わらず、
頑張って作ったのに、、、。
連絡なく遅く帰ってきて、
食べないなんて!!!!
みたいな感じですね。
私を愛してくれているなら、
- ちゃんと連絡くれるはずだ。
- 料理も食べてくれるはずだ。
- 食べたらありがとうがあるはずだ。
ってなってたんですね。
わはは(笑)
今思うと、、、
なんちゅー面倒くさい。
自分に自信が無かったから、
相手の行動に反応しまくりですよ。
まぁ、子どもだったんで、
わかんなかったんですね。。。
てな具合に、
根底にある想いはホンモノでも、
何かしらのフィルタから、
ニセモノに変換されたりね。
こういうのは誰しも持ってるものだし、
自分だって持っているものです。
だからこそ、自分を
もっと知ろうって思えるし、
相手のことも理解しようって
思えるようになりませんか?
いや、ならんね、、、。
って人はさておき、
やっぱりもっと自分を知って、
相手のことも理解したいという
方に。
よくビジネスは「人」だと
聞いたことありませんか?
やっぱり無人島で
どんなにいい商品・サービスを
売ろうと、どんなに叫んだとしても
ビジネスにはならないですよね?
人が存在するから、
ビジネスが成り立ちます。
なので、その人との関係構築って
大事なわけです。
もちろん、ビジネスだけじゃなく、
全てにおいて言えますよね。
家庭も、職場環境も。
趣味の集まりであっても、
気の置けない仲間たちであっても。
そこで自分にとって楽で
相手にとっても楽になる
関係構築に効く方法って
知りたいと思いませんか?
自分にとっての執着を手放す
それは、あなた自身の執着を
手放すことです!
って、言われても、
執着って何ですか?
手放すってどうやって?
ですよねん。
私を事例に伝えますと、、、。
私がこれまでお世話になってきた方々、
今付き合いがあろうがなかろうが
関係なく、その人に会ったおかげで
今があると思っている方々について、
他の人から批判されると
イラッとしてしまう自分が居ます。
「私が信頼する人を批判しないで」
「よく知りもしないくせに
適当なこと言わないでよ」
って、思ってる私が居るんですね。
ここには、自分が大事だと
感じるところを否定されていると
受け取ってしまう自分が居るんです。
「人の大事な部分を他人のあんたが
批判するんじゃないわよ〜〜〜〜〜」
って、思ってるわけです。
けど、この執着を手放せば、
そんな方ともコミュニケーションが
取れるわけです。
この執着を手放して、
冷静に自分を捉えなおしてみると。
誰に何を言われようとも、
私が相手のことについて
信頼していることや
尊敬していることや
感謝していることは関係ないんです。
誰が何を言おうとも、
相手の素晴らしい本質は
素晴らしいものとして存在する。
だから、他の人からの批判に対して
いちいち反応する必要もないんです。
たとえ、批判や誹謗中傷であっても、
相手の視点や持っている情報からは
見える一つの断片。
同意も共感もする必要はないけれど、
そう思っているんだなと
受け止めるだけで良いわけです。
そして、その相手と付き合っていくか
関係構築していくかどうかは
自分で選べばいいだけ。それだけ。
って考えると、
とーっても楽になるわけです。
こういう執着をすべて手放さなければ
ならないというわけでもないし、
持ち続けていることが
悪いというわけでもないです。
ただ、いつでも手放しできるし、
掴むこともできるっていう
柔軟な状態であることが
自分を楽にします。
自分が楽になるので、
相手に与える影響も
変わってくるわけです。
執着があればあるほどに、
相手に対してそれを
押し付けてしまうことも
発生しがちになってくるから。
押し付けないにせよ、
その執着によって刺激された
感情によって、
行動も変わってくるし。
やってみるとわかるので、
オススメなのです(*^^*)
とは言え、
自分自身では難しいケースが
あります。
そんな時は、
こちらのティータイムレッスンで
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